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「焼肉 井とう」店主について

和食の板前だった創業者が、父祖の地「佐伯」で平成元年に産声を上げ、地元の皆様に育てられました。

21世紀を迎えてから「焼肉」を取り巻く環境が一変します。各種の騒動からの客離れと国産牛の高騰です。

青学から焼肉へ

二代目店主となる木原修一は東京の青山学院大学へ進みます。名家が集う華やかなキャンパス。そこは焼肉とは遠い世界のように思えました。

ところが世界中の美食が集まる「東京」は、焼肉の最先端であり激戦区で、桁違いの美味と人気はカルチャーショックです。いつしか「この美味を地元の人に伝えたい」という思いが頭から離れなくなります。

スタミナ苑に出会う

スタミナ苑行列

「どうせ修行するなら一番の店で」。木原は都内はもちろん、近郊の焼肉屋を巡りました。チェーン店から超高級店、知る人ぞ知る隠れ家的名店と廻り、「一番旨い店」、そしてなにより「人生」を賭けられる店として「スタミナ苑」を選びます。

受け入れた理由

のれん分けを目指すのでもなく、終身雇用するわけでもなく、いずれは家業を継ぐために辞める。だけど秘伝の味を教えてくれ。

自分勝手と思われてもおかしくない木原修一の願いを、受け入れたのはその熱意だとスタミナ苑の社長は語ります。

修業時代

スタミナ苑行列

右も左もわからないまま入社すると、その日から「激務」でした。

開店直後に満席になると、それがラストオーダーまで続き、閉店後は翌日の仕込みがはじまり、翌朝、日が昇るまで続きます。翌日は昼過ぎには店に入り、開店準備がはじまる。これが毎日です。「とんでもない店に入ったなぁ」とは本音です。しかし、そのスピード感になれると、こんな身になる修業先はないと確信します。

「スタミナ苑」は社長兄弟を中心とし、奥さん、息子、そして家族同然のスタッフで運営され、コアメンバーに変動はありません。だから、一応の役割はありますが、互いが互いをカバーするので、覚えることが多く、なにより「行列が出来る店」なので、件数(回数)が多いので、文字通り「骨の髄」まで仕事が身につくのです。

マスコミでたびたび

テレビや雑誌で紹介される「スタミナ苑」での修業時代、何度かテレビで取りあげて戴くこともありました。とりわけ密着取材された2013年2月14日放送のフジテレビ『知りたがり!』は、寝る間を惜しんで仕込みをする姿に、視聴者から感動の声が多数寄せられ、春の改編で番組が終了することを惜しむ声が聞こえてくるほど評判だったと言います。

帰郷、そして再出発へ

修行も7年を越え、地元「佐伯」に戻る日が近づくと、スタミナ苑の社長が「もう一年修行しろ」と命じます。「まだだ」というのです。

そしてその一年も終わりに近づいてからは、営業が終わた後、社長の「特訓」が始まります。「(修行に)これで充分ということはないが、できるだけのことはしてやりたい」との思いからです。

スタミナ苑修業時代

平成二十八年三月末日をもって「スタミナ苑」を卒業し、故郷に戻ってきました。